【新作レビュー】『コーヒーをめぐる冒険』

『コーヒーをめぐる冒険』
(2012/ドイツ)


監督:ヤン・オーレ・ゲルスター
出演:トム・シリング、マルク・ホーゼマン、フリデリーケ・ケンプター



単純なフレーズでこの映画を説明すると、「コーヒーが飲みたいのにいつまでたっても飲めない映画」という一言で完結する。
例えばマーティン・スコセッシの『アフター・アワーズ』は家に帰れない男を描き、ルイス・ブニュエルの『皆殺しの天使』は屋敷から出られない人々を描いた映画であって、それらと共通するのは「本来できるはずのことができなくなる映画」ということだ。

コーヒーを求めて主人公が彷徨う現代のベルリンの街を、モノクロームで捕えるカメラはヌーヴェルヴァーグへの高い造詣が伺える。どうやら監督はフランソワ・トリュフォーをすべて観て研究を重ねたそうだが、トリュフォーの初期の作品のようなスピード感のある喜劇として仕上がった本作は、間違いなく成果が出たと言えよう。
主人公があらゆる人間と出会いながら、一日を終えて行く様をコミカルに流して行く感じは、いつの間にかベルリンの街がパリにも見えてきてしまうほど不思議な魅力に囚われるのである。

そんな町の中で出会う人々が実に個性的で、愉快でも不愉快でもありながら主人公の感情を刺激していくのが何とも可笑しい。
序盤に登場する運転免許の適性検査を行う役人や、カフェの店員を必要以上に不愉快なキャラクターに映し出した素直さといい、アパートの隣人の男の気持ちの悪さといい、再会するかつての同級生の女性の情緒不安定さといい、何だかまるでフランツ・カフカの小説が60年代のフランスで映画化されたかのような味わいの深さがある。

仮に同じ物語が当時のヌーヴェルヴァーグ最盛期のフランスで作られていたら、主人公は誰になっただろうと考えるだけでも充分楽しい。
ベルモンドやモーリス・ロネだと少し違うし、アズナブールでは少し年が行き過ぎている。ただ、情緒不安定なヒロインはニコル・ベルジェがぴったりだろう。
監督はもちろんジャン=ピエール・モッキーで。

そんな半世紀前のことに気を許している場合ではなく、この21世紀のまっただ中にこのタイプの作品を堂々と発表できるヤン・オーレ・ゲルスターという作家の誕生は大きい。しかもこれほどまでに古風な映画を評価するドイツ映画界の後押しがあれば、またドイツに映画ムーブメントが再発してもおかしくはないだろう。
かつてのニュー・ジャーマン・シネマの時代に活躍したファスビンダーやシュレンドルフやヘルツォークたちとはまるっきり性質の違う、新しいドイツ映画が誕生する瞬間を目撃することができる。

当たり前だが、ベルリンの町の中にもスターバックスやら安いカフェがあるから実際に行った所でコーヒーをめぐる冒険ができることはおそらくないだろう。同級生と再会し、劇団員と喧嘩してチンピラに絡まれて、もとナチスドイツの老人の死に目に遭遇することなんて、たぶん一生のうち経験できるものではないだろう。ものすごく簡単そうに見えて実は実現することが極めて難しい物語(それでいて一度は体験してみたい物語)こそ、映画の真髄である。
観終わるときっとコーヒーが飲みたくなることは当然のことだ。だけど観ながら飲むことはおすすめしない。ちょうど、東京での上映館であるイメージフォーラムはすぐ目の前にスターバックスがあるのだから、上映が終わってからそこですぐさまコーヒーを飲むのも良し、あえて東京の町の中をコーヒーを求めて彷徨ってみるのも楽しいだろう。


3月1日よりシアター・イメージフォーラム他にて公開

www.cetera.co.jp/coffee





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