旧作レビュー第3回・原恵一『映画ドラミちゃん アララ♥少年山賊団』

『映画ドラミちゃん アララ♥少年山賊団』



<作品データ>
制作年:1991年
制作国:日本
アスペクト比:スタンダード
カラー・白黒:カラー


<スタッフ>
監督:原恵一
脚本:丸尾みほ
音楽:田中公平
撮影:熊谷正弘


<キャスト>
横沢啓子
小原乃梨子
ウタ
肝付兼太



<総評>
『ドラえもん のび太のドラビアンナイト』の併映作品で上映されたこの『ドラミちゃん アララ少年山賊団』はドラえもんの妹ドラミの2本目の主演映画(『ドラミちゃん ミニドラSOS』に続く)であり、『クレヨンしんちゃん』のイメージの強い原恵一監督が手がけたドラえもん作品として注目されるべき作品である。
現に、ドラえもん大長編の併映短編の中でもかなり人気の高い作品であり、今でもSNSでこのタイトルを検索すれば、感想を容易に集めることができるのである。

何故にこの映画がそこまで高く評価されているのか、それは映画の「起」の部分にあたる序盤を観ただけで明確に判る。

まず映画のファーストカットで出現するのは、20世紀の街の画である。鄙びた商店が並ぶ先に、ドラえもんのシリーズでもあまりお目にかかったことのない新宿の都庁舎と思しき建物が映る。ちょうどこの映画が作られていた90年末に竣工されたこの建物は、新宿副都心の象徴として、本作の後も大森一樹の『ゴジラvsキングギドラ』で使用されるなど、その時代を代表する建築物であったに他ならない。
しかしながら、その画面に「22世紀」というテロップが出た途端に、我々は一気にドラえもんの物語であることを思い出し、キャメラが徐々に引いていって、それまで見ていたものがデパートの20世紀展の広告に過ぎなかったということを知らされると、これは従来のドラえもん映画とは一線を画したものであることが判る。

その広告の中に、ドラえもんとのび太の姿を発見することができ、フィクションとしての遊びをここぞとばかりに入れてくるであろうことを予感させるファーストカットは、画面の右から左へ本作の主人公であるドラミが駆け抜けていくと次のカットへと切り替わるのである。

これまでのドラえもんのシリーズで見たことのない「花田橋」という駅名を受けた駅舎の先には高層ビルヂングが立ち並び、エスカレーターを降りていくドラミの俯瞰ショットの画面の手前にはドラえもんと同じ青い出で立ちをしたネコ型ロボットが展示され、「一家に一台、耳付きスーパードラえもんをどうぞ」という高度経済成長期のデパートのような安易なキャッチをつけられたアナウンスが流れる。
そもそもドラえもんのロボットは黄色く、耳付きであることが正規品なので、このカットに登場するような耳付きは決して珍しいことではなく、かえって青色のドラえもんが売られているということに圧倒的な疑問を生じる結果となる。
つまりは、これは今まで観てきているドラえもんとは違う世界の映画であると解するべきであって、パラレルワールドの物語であるドラえもんの、さらにパラレルの先の映画なのである。

そうしているうちに電車に乗り込み、地下鉄の駅に入るカラフルな車体。車両に乗り込んだドラミはただ窓の外を見続け、同じ車両にはノートパソコンのようなものを使っている人物が映る。窓の外は地下鉄特有の闇が落ちていて、それがたちまち外の世界に放たれると、車窓からは高層ビルヂングの群れが出現する。
そして放たれるドラミの最初のセリフ「雨か……」。近代的な街並みの中に降り注ぐ雨を描写しながらタイトルインに入るこの流れに、とても40分足らずの子供向けアニメのしかも併映短編とは思えないほどの強いこだわりを感じるどころか、単なるファンタジーではなく、ひとつのドラマとしての展開も匂わせる情緒を放つ。

そうか、これが原恵一の世界であって、我々がイメージしている藤子F不二雄の世界観と重なり合うことによって生じた化学反応がこの映画の中に詰め込まれているのである。加えて、本作で脚本を務めたのはその後の原恵一作品でも脚本を務めている丸尾みほであり、彼ら原組の持つ才能を、ただドラえもんという既存の作品を使って具現化しただけに過ぎないということを実感する。
(世界的な人気を集めるドラえもんが、ただ決められたレールの上を歩くだけでは物足りない。もっと、このような作家性を存分に引き出したスピンオフ映画が作られればよかったと、思っていたらそういえば昨年山崎貴が『STAND BY ME ドラえもん』という作品を作っていたことをちょっと思い出した。残念ながらその作品は筆者は未見であるので、近いうちに観てみることにする。もしかしたらこれもまたある種の化学反応を見せる傑作の可能性を十分に秘めていてもおかしくないと思える。)

さて、映画の内容を軽く振り返っていこうと思う。
高層マンションで住むセワシの家に帰ってくるドラミ。それまでセワシは91年の日付がふられたのび太の情けない写真を見ているのだが、それがキャメラが回り込むと、3Dホログラムのような機器で再生されていることに衝撃を受ける。
さらに、帰って来たドラミが放つセリフが「お昼まだなんでしょ?」。それまで外は完全に暗く、複雑なSF的説明を排してしまえば夜としか推測できない空模様をしていたにもかかわらず、それがまだお昼ご飯を心配する時間であることに衝撃を受ける。果たしてこの映画はどこまで観客の想像の上を行くのであろうか。

筋の中心は、アララという道具を用いてセワシは自分の先祖たちのレベルを測ってみたところ、のび太が極めて低い中、同じぐらいの水準を持った先祖がいるということを知り、彼の生きる戦国時代にドラミを送り込むというもの。
山賊に襲われているところでアララが得てきた情報が途絶えていたために急いで戦国時代に向かうドラミは、そこで真っ先にしずかちゃんの祖先に出会う。そして村の人さえ近づかないという山賊が現れる山に向かうと、なんとのび太の祖先であるのび平を始め、村の子供達が山賊・どくろ組を結成していたという事実を知ることになる。
彼らはスネ夫の祖先と思しき(どうやら違うらしいが)領主の子供スネ丸に不満を抱き、家出をして山賊団を結成したいたのである。

もちろんその後の展開は、ドラえもんらしい単純明快なもの。少年山賊団の一味が領主の家から米を奪い取ってくるが、そこにたまたまスネ丸も混ざりこんでいて、彼らは共に野菜や米を作ることの喜びを知ることになる。そこに山賊を討伐するための領主たちの軍隊が攻め込んでくるというもの。

キャラクターたちの描き方が巧いのは、原恵一演出だからというわけではなく、テレビシリーズを含めたこの時代のドラえもんの良さである。ある種ステレオタイプ的にまとめられた判りやすい主人公の、あらゆる所作の筋が徹底されていて、本作の劇中では山賊団の仲間たちへ心を開き始めたスネ丸が、父親率いる軍勢に向かっていくのび平を止めにいく終盤のプロットは実に見事であった。

もちろん、映画としての映像の表現も優れており、滑車で滑るように崖を渡るショットや、水中に飛び込むショット、そしてなによりのび平がメガネを初めて掛ける主観ショットは実に洒落た演出である。
これだけの極めてシンプルかつ洗練された映画を40分で描き切る力量は並大抵の技ではない。この一本で、日本のアニメーションがいかに優れているかが判ることだろう。

ドラえもん作品の声優が変わってから早10年以上経ったが、やはりもっとも慣れ親しんだキャストの声が一番しっくりとくる。
大長編も含め、その併映短編はよく年末や春秋のスペシャルで放送されることがあったが、当然のようにもう以前の作品は放送されることがないのが寂しい限りである。






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