【新作レビュー5月号】スチュアート・マードック『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』



『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』

<作品データ>
2014年/イギリス/112分/アメリカンビスタ

監督:スチュアート・マードック
出演:エミリー・ブラウニング、オリー・アレクサンデル、ハンナ・マリー

公式サイト


<感想>
人気アーティストが映画を撮るというと、日本では単なる企画物のにおいが漂うだけで、まったく期待が持てないのであるが、不思議と海外では成功するケースのほうが目立つ。
中でも近年ではマドンナが『ワンダーラスト』で映画デビューを果たし、つづく『ウォリスとエドワード』を送り出すなど、類稀なる才能を発揮している。
この『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』を撮ったスチュアート・マードックという人物もまた、スコットランドの人気アーティストということを、音楽に暗い筆者は作品を観た後に知ることになる。

96年に結成されたベル・アンド・セバスチャンは、7人組のポップバンドであり、マードックはそれの中心となるヴォーカルを務めているそうだ。
これまで彼のフィルモグラフィーといえば、『JUNO』や『プラダを着た悪魔』、『(500)日のサマー』と、音楽提供をした作品ばかりが書かれていたが、突然自らの脚本で、自らの演出を施して作り上げたこの『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』が、これほどまでの完成度を誇る作品になっているなんて、相当な才能の持ち主であることは間違いない。

スコットランドのグラスゴーを舞台に、病院を抜け出した主人公が、ライブハウスで出会った音楽青年と、その仲間とともに音楽への道へ進んで行く青春映画だ。もともとは、マードックが2009年にリリースしたアルバムに着想を受け、自身の故郷であるグラスゴーを舞台にして物語を紡いだのであるが、その結果生み出されたこの映画の登場人物の配置が実に見事である。

たとえばトリュフォーの『突然炎のごとく』やゴダールの『はなればなれに』、クレマンの『太陽がいっぱい』に代表されるように、青春映画における男女3人といえば、どういうわけかふたりの男とひとりの女(ファレリー兄弟の映画ではない)が定説である。もちろん本作のように、その逆の立ち位置でふたりの女とひとりの男で紡がれる物語はあることはあるが、前者の方が目立っているのが実情であるし、不思議と前者の方が明快で面白い映画が作られやすい。
それでも、本作がオールディーズのような作品としての輝きを放つのは、インスパイアされた楽曲群からその映画としての完成に至るまでを徹頭徹尾貫いたマードックの仕事の正確さに他ならない。

病院を抜け出したエミリー・ブラウニングが歌い始め、その一連を映し出す中で、薄暗く人の気配のない病院から、明るく人の多い街に出て、最終的には物語のスタート地点であるライブハウスに辿り着くまでを見せる冒頭のシークエンスの流れは非常にスマートであるが、あまりにもスマートすぎて映画を観ている気分にさせられないという難点もある。それでも映画に観客を惹き込むことに関しては、正解としか言いようがない。

歌唱シーンの中でも最も心躍るのは何といっても主人公たち3人が初めて顔を合わせる室内でのシーンで、そこで見せる一連のダンスは、『はなればなれに』を彷彿とさせるだけあって、ますます目が離せなくなるのである。
もっとも、いわゆる「ミュージカル映画」というほどの風格は有してはいないが、時折登場人物たちが歌って踊るという、少し軽い感じのミュージカル描写は、一見物足りなさも感じるが、これが青春映画が核になるということを踏まえれば許容できよう。
たとえば数年前にロブ・マーシャルが『8 1/2』のミュージカル舞台を映画化した『NINE』のように、ミュージカルと銘打って、物語の間にMVを織り込むようなセンスのない作りでは決してなく、MVのような画面構成を映画と一体化させることに成功した、今の時代らしいミュージカルの新しいタイプを発見したように思える。


本作でヒロインを演じたエミリー・ブラウニングはオーストラリア出身の現在26歳。『ゴーストシップ』の幽霊少女役が一番印象強いが、若手女優の中でも長いキャリアを持つ一方で、どういうわけか作品に恵まれない印象があった。

彼女の代表作のひとつであるブラッド・シルバーリングの『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』は主人公格でありながら、ジム・キャリーのおふざけの隅に隠されてしまったり、ザック・シュナイダーの『エンジェル・ウォーズ』はそれなりの興収をあげながらも評価は散々であった。
しかし本作でようやく堂々と答えられる代表作が生まれたことは、長く彼女を見てきた者にとっては嬉しくてならない。2015年では今後出演作が2本決まっているだけに、今後のさらなる飛躍に期待したいところである。


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