『ジュラシック・ワールド』
<作品データ>
2015年/アメリカ/125分/ビスタマスク(2.0:1)
監督:コリン・トレヴォロウ
出演:クリス・プラット、ブライス・ダラス・ハワード、オマール・シー、ヴィンセント・ドノフリオ
<感想>
昔から、日本は他の国と比べると洋画が上映される時期が遅すぎるという言葉をしばしば目にする。大作になればなるほど、一時期は全世界同時上映などで、平日の深夜から突然封切られることもあったものの、最近は日本国内ではどうしても邦高洋低と言われるムードが続いているせいか、どうも洋画に疎い感じは否めない。
しかしながら、これほどまでに、日本が乗り遅れていると実感する映画は久しぶりである。
アメリカで6月の2週目に封切られて、翌週にはほとんどの国で上映がスタートした。公開されてから1ヶ月、常に更新される全米の興行成績から目が離せなくなった。
あっという間に全世界歴代興行収入で上位に入り、これを書いている現時点ではすでに全世界14億ドル超、アメリカ国内でも6億ドルに届こうとしている。
ところが日本では8月になってからの公開で、これは世界の映画先進国の中では最も遅いスタートとなる。おそらくその頃には、アメリカ国内で『タイタニック』に並ぶくらいの数字になっているのではないだろうか。ジェームズ・キャメロンの作り上げたあまりにも大きな壁が、そろそろ越えられる可能性も無いとは言い切れない。
映画を知らなくても、誰もがその名を聞いたことがある世界的ヒットメーカーであるスティーブン・スピルバーグが、この物語の礎を築いたのはもう22年前のことだ。
最先端のCG技術を駆使して、誰もがこれまで夢見ていた恐竜の生きた時代を目の当たりにしたのだ。もちろん、それまで使われてきた特撮技術による恐竜映画も捨てたものではない。しかし、あらゆる科学技術の進歩とともに、映画技術も進歩を重ね、彼ら恐竜たちの姿がスクリーン上にあまりにも忠実に再現されることに、世界中が心踊らずにはいられなかったのである。
当時の興行記録を次から次へと更新した『ジュラシック・パーク』は、世界で初めての10億ドル映画へとのし上がった。それから2作目の『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』、凡作としかいいようのなかったジョー・ジョンストンによる3作目を経て、ついに新しく作り出された『ジュラシック・ワールド』は、あの頃よりも繊細になったCG技術に加え、アトラクションとしての意義を持ち始めた映画文化へのひとつの回答を提示することになったのである。
2015年は超大作ラッシュの一年である。言わずと知れた有名シリーズの最新作が、こぞって今年に公開を迎える。そのどれもが、甲乙付けがたいほどに安定した娯楽性を兼ね備えている強硬なエンターテインメント映画としての位置を保ち続けているのであるが、長年危惧されている「現代ハリウッドの想像力の低下」への明確な返答を成し得ておらず、簡潔に言えば興行的なメリットを除いて「続編を作る必要性」を感じないものばかりなのである。
しかしながら、このシリーズにおいては、その必要性以上に、今後の映画の可能性を拡げるイマジネーションの数々に満ち溢れている。
まずは近年急激にコンテンツが増加している3D映画としてのフォーマットにおいて、観客の予測不可能な動きをする恐竜たちの姿を、森の中からや水の中から、空中と、あらゆる局面で映し出していることであり、さらには進化系のアトラクション映画としての4Dでも充分に劇中との一体感を得ることが可能なまでに、限りなく主観的なショットを尊重し続けているということである。この時点で、すでにアトラクションとしての映画文化にもっとも相応しい映画であることが判るのである。
もちろん、ILMのCG技術が持つ、映画の可能性を拡げた金字塔である1作目に引けを取らないほどに繊細なCG映像の数々は、恐竜の肌の質感から瞳の潤いさえもスクリーンに映し出すことを可能にした。もはや、映画に不可能は存在し得ないのではないかとまで考えてしまうほどだ。
そして、技術面で現代の映画界で主流として使われるハードを一通り経ていることもこの映画の強みではないだろうか。撮影には35ミリと65ミリのフィルム、デジタル撮影の中でも高精度を誇るREDを併用し、3Dへの変換とデジタルIMAXへの変換、さらに4D版の製作と、あらゆる面で映画の娯楽性を高めるための要素を取り込んでいるのである。
予告編の段階で、気づいた方も少なからずいるはずであるが、(現在日本のほとんどのシネコンでは予告編をビスタマスク/ビスタマクロで上映しているのだが)、画面の上下に僅かながら黒みが入り、1.85:1のビスタ画面よりもやや横長になっているのである。コリン監督のインタビューによれば、恐竜と人間がひとつのフレームに収まるように、シネスコでは画が引きすぎてしまうし、ビスタでは無駄な部分が多くなってしまうので、この映画は2.0:1という極めて特殊なアスペクト比を採用しているのである。
もっとも、フィルムの時代と違い、デジタル編集においてはどのようなアスペクト比で映画を作ることも可能であったが、ここに来て急激にその多様化が進んできているのである。グザヴィエ・ドランの『MOMMY/マミー』ではInstagramを想起させる1:1、ブラッド・バードの『トゥモローランド』では2.2:1(IMAXでは1.9:1)と、映画を作る上での選択肢がさらに増えることで、あらゆる形状の映画が実現されてきているのである。非常にもったいないことは、劇場自体のカーテンが、単純なシネスコとビスタの2種類しか選択できないことで、必然的に観客はレターボックス画面を見させられることになってしまうということである。
さて、今回の監督に抜擢されたコリン・トレヴォロウという作家は、まだまだ世界的にも無名の監督であった。この映画が公開するまでは。『彼女はパートタイムトラベラー』という作品で長編劇映画デビューを果たし、これが2作目の彼は、すでに『スターウォーズ』シリーズの新作へのオファーが噂されるほどに急成長を果たした。今後にますます期待が持てる作家であることは間違いがない。
主人公を務めるクリス・プラットもまた、長い下積みから脱却し『ガーディアン・オブ・ギャラクシー』で一躍ネームバリューを獲得した上での本作だ。噂されている『インディー・ジョーンズ』新作の可能性も今回でより上がったのではなかろうか。
肝心の『ジュラシック・ワールド』の内容について細かく触れていこうと思ったが、細かく分析する必要性のある作品では決してないということに気付いてしまったので、あまり多くは語らないことにする。
この映画は娯楽映画であり、かつ映画館に集う誰もが、子供の頃に思い描いた夢の世界を再び味わい、子供は純粋に未来への夢を見ることができる作品なのである。本来、映画は人々に夢を与える場所であった。ジョルジュ・メリエスの作ったファンタジックな映像の数々に始まり、120年の映画史ではあらゆる映画が作られた。
しかしながら、その歴史が進むにつれて、映画の持つファンタジーはあくまでもひとつのジャンルとしてのファンタジーに押し込められてしまい、中には現実的な映画を好む風潮まで見られる。それはそれで芸術として必要ではあるのかもしれないが、現実を見たいのであればわざわざお金を払って映画館に入り、2時間も椅子に座っている必要性などない。
スピルバーグという映画作家が、もっとも優れているのは、単なるつまらない現実を提示する映画を一切作らず、その多様なイマジネーションによって生み出されるファンタジー性を常に介入させていることに他ならない。そんな彼が創り出し、今回もプロデューサーとして名前をクレジットされているのだから、我々は素直に童心に還ればいいだけなのである。
可能であれば、過去の3作をチェックしておくとより楽しめる部分があることだけ記しておこうと思う。これだけ間隔が開いたにもかかわらず、明確に物語が続いているのである。
ひとこと言う必要があるとすれば、この夏「映画」が観たいのであれば『ジュラシック・ワールド』を観ればいいということだけだ。
昔から、日本は他の国と比べると洋画が上映される時期が遅すぎるという言葉をしばしば目にする。大作になればなるほど、一時期は全世界同時上映などで、平日の深夜から突然封切られることもあったものの、最近は日本国内ではどうしても邦高洋低と言われるムードが続いているせいか、どうも洋画に疎い感じは否めない。
しかしながら、これほどまでに、日本が乗り遅れていると実感する映画は久しぶりである。
アメリカで6月の2週目に封切られて、翌週にはほとんどの国で上映がスタートした。公開されてから1ヶ月、常に更新される全米の興行成績から目が離せなくなった。
あっという間に全世界歴代興行収入で上位に入り、これを書いている現時点ではすでに全世界14億ドル超、アメリカ国内でも6億ドルに届こうとしている。
ところが日本では8月になってからの公開で、これは世界の映画先進国の中では最も遅いスタートとなる。おそらくその頃には、アメリカ国内で『タイタニック』に並ぶくらいの数字になっているのではないだろうか。ジェームズ・キャメロンの作り上げたあまりにも大きな壁が、そろそろ越えられる可能性も無いとは言い切れない。
映画を知らなくても、誰もがその名を聞いたことがある世界的ヒットメーカーであるスティーブン・スピルバーグが、この物語の礎を築いたのはもう22年前のことだ。
最先端のCG技術を駆使して、誰もがこれまで夢見ていた恐竜の生きた時代を目の当たりにしたのだ。もちろん、それまで使われてきた特撮技術による恐竜映画も捨てたものではない。しかし、あらゆる科学技術の進歩とともに、映画技術も進歩を重ね、彼ら恐竜たちの姿がスクリーン上にあまりにも忠実に再現されることに、世界中が心踊らずにはいられなかったのである。
当時の興行記録を次から次へと更新した『ジュラシック・パーク』は、世界で初めての10億ドル映画へとのし上がった。それから2作目の『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』、凡作としかいいようのなかったジョー・ジョンストンによる3作目を経て、ついに新しく作り出された『ジュラシック・ワールド』は、あの頃よりも繊細になったCG技術に加え、アトラクションとしての意義を持ち始めた映画文化へのひとつの回答を提示することになったのである。
2015年は超大作ラッシュの一年である。言わずと知れた有名シリーズの最新作が、こぞって今年に公開を迎える。そのどれもが、甲乙付けがたいほどに安定した娯楽性を兼ね備えている強硬なエンターテインメント映画としての位置を保ち続けているのであるが、長年危惧されている「現代ハリウッドの想像力の低下」への明確な返答を成し得ておらず、簡潔に言えば興行的なメリットを除いて「続編を作る必要性」を感じないものばかりなのである。
しかしながら、このシリーズにおいては、その必要性以上に、今後の映画の可能性を拡げるイマジネーションの数々に満ち溢れている。
まずは近年急激にコンテンツが増加している3D映画としてのフォーマットにおいて、観客の予測不可能な動きをする恐竜たちの姿を、森の中からや水の中から、空中と、あらゆる局面で映し出していることであり、さらには進化系のアトラクション映画としての4Dでも充分に劇中との一体感を得ることが可能なまでに、限りなく主観的なショットを尊重し続けているということである。この時点で、すでにアトラクションとしての映画文化にもっとも相応しい映画であることが判るのである。
もちろん、ILMのCG技術が持つ、映画の可能性を拡げた金字塔である1作目に引けを取らないほどに繊細なCG映像の数々は、恐竜の肌の質感から瞳の潤いさえもスクリーンに映し出すことを可能にした。もはや、映画に不可能は存在し得ないのではないかとまで考えてしまうほどだ。
そして、技術面で現代の映画界で主流として使われるハードを一通り経ていることもこの映画の強みではないだろうか。撮影には35ミリと65ミリのフィルム、デジタル撮影の中でも高精度を誇るREDを併用し、3Dへの変換とデジタルIMAXへの変換、さらに4D版の製作と、あらゆる面で映画の娯楽性を高めるための要素を取り込んでいるのである。
予告編の段階で、気づいた方も少なからずいるはずであるが、(現在日本のほとんどのシネコンでは予告編をビスタマスク/ビスタマクロで上映しているのだが)、画面の上下に僅かながら黒みが入り、1.85:1のビスタ画面よりもやや横長になっているのである。コリン監督のインタビューによれば、恐竜と人間がひとつのフレームに収まるように、シネスコでは画が引きすぎてしまうし、ビスタでは無駄な部分が多くなってしまうので、この映画は2.0:1という極めて特殊なアスペクト比を採用しているのである。
もっとも、フィルムの時代と違い、デジタル編集においてはどのようなアスペクト比で映画を作ることも可能であったが、ここに来て急激にその多様化が進んできているのである。グザヴィエ・ドランの『MOMMY/マミー』ではInstagramを想起させる1:1、ブラッド・バードの『トゥモローランド』では2.2:1(IMAXでは1.9:1)と、映画を作る上での選択肢がさらに増えることで、あらゆる形状の映画が実現されてきているのである。非常にもったいないことは、劇場自体のカーテンが、単純なシネスコとビスタの2種類しか選択できないことで、必然的に観客はレターボックス画面を見させられることになってしまうということである。
さて、今回の監督に抜擢されたコリン・トレヴォロウという作家は、まだまだ世界的にも無名の監督であった。この映画が公開するまでは。『彼女はパートタイムトラベラー』という作品で長編劇映画デビューを果たし、これが2作目の彼は、すでに『スターウォーズ』シリーズの新作へのオファーが噂されるほどに急成長を果たした。今後にますます期待が持てる作家であることは間違いがない。
主人公を務めるクリス・プラットもまた、長い下積みから脱却し『ガーディアン・オブ・ギャラクシー』で一躍ネームバリューを獲得した上での本作だ。噂されている『インディー・ジョーンズ』新作の可能性も今回でより上がったのではなかろうか。
肝心の『ジュラシック・ワールド』の内容について細かく触れていこうと思ったが、細かく分析する必要性のある作品では決してないということに気付いてしまったので、あまり多くは語らないことにする。
この映画は娯楽映画であり、かつ映画館に集う誰もが、子供の頃に思い描いた夢の世界を再び味わい、子供は純粋に未来への夢を見ることができる作品なのである。本来、映画は人々に夢を与える場所であった。ジョルジュ・メリエスの作ったファンタジックな映像の数々に始まり、120年の映画史ではあらゆる映画が作られた。
しかしながら、その歴史が進むにつれて、映画の持つファンタジーはあくまでもひとつのジャンルとしてのファンタジーに押し込められてしまい、中には現実的な映画を好む風潮まで見られる。それはそれで芸術として必要ではあるのかもしれないが、現実を見たいのであればわざわざお金を払って映画館に入り、2時間も椅子に座っている必要性などない。
スピルバーグという映画作家が、もっとも優れているのは、単なるつまらない現実を提示する映画を一切作らず、その多様なイマジネーションによって生み出されるファンタジー性を常に介入させていることに他ならない。そんな彼が創り出し、今回もプロデューサーとして名前をクレジットされているのだから、我々は素直に童心に還ればいいだけなのである。
可能であれば、過去の3作をチェックしておくとより楽しめる部分があることだけ記しておこうと思う。これだけ間隔が開いたにもかかわらず、明確に物語が続いているのである。
ひとこと言う必要があるとすれば、この夏「映画」が観たいのであれば『ジュラシック・ワールド』を観ればいいということだけだ。
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