『くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ』
<作品データ>
2012年/フランス・ベルギー・ルクセンブルク/80分/アメリカンビスタ
監督:バンジャマン・レネール、ステファヌ・オビエ、ヴァンサン・パタール
出演:ランベール・ウィルソン、ポーリーン・ブロナー(※オリジナルキャスト)
<感想>
ようやくの、ロードショーというわけだ。
昨年のアカデミー賞で『風立ちぬ』『アナと雪の女王』らハイレベルなノミニーの中に選出された、このフレンチアニメは、制作から3年の月日が流れて、ようやくロードショー公開されるのである。
しかしながら、上映形態は日本語吹替版のみで、朝1回のみの上映となれば、かなりターゲットが限定される。元々、児童向けの絵本を原作にしている作品であるからこそ、子供をターゲットにしておきたいのであろう。
ただ、2011年に公開されたウェス・アンダーソンの『ファンタスティックMr.FOX』を始め、児童向けの原作を持っていても、ディズニーの大作や、ジブリやNHK関連でないとアートアニメとして扱われるきらいがあるのが、日本市場における海外アニメの取り扱いである。(もっとも、ディズニーとジブリの共同配給だった『イリュージョニスト』は完全にアートアニメの扱いで問題がなかったが)
その中で、特にアート色の強いフレンチアニメを、こうして上映させるということは、ある意味では画期的な試みと思える。それでも、純粋にフレンチアニメファンとしては、フランス語版の上映を期待してしまうのであるが。難点といえば、東京での上映が、ターゲット層の顧客のほとんど誰もが行ったことのないであろう、渋谷のイメージフォーラムだということぐらいであろうか。
さて、この『くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ』。これまで実に多くの映画祭で上映機会を得てきているから、フレンチアニメファンはすでにチェック済みであるだろう。2012年秋に行われた、第25回東京国際映画祭のみなと上映会を皮切りに、フランス映画祭、横浜フランスアニメ映画祭、さらにアンスティチュ・フランセでの上映も数回行われ、昨年の東京アニメアワードフェスティバルでも上映された。それから1年以上も音沙汰なく、今回の突然のロードショー公開ともなれば、たとえ夏休みの子供だらけの映画館といえども、是非とも劇場に足を運びたくなるものである。
ベルギーの絵本作家、ガブリエル・バンサンの代表作であるシリーズを脚色した本作は、地上のクマの世界と地下のネズミの世界を舞台に、それぞれの場所で孤独に生きる主人公の邂逅と交流を描く典型的なハートウォーミングムービーである一方で、かなり挑戦的な映画でもある。
地下世界で暮らすネズミたちは、夜な夜な地上に上がり、町に住むクマの子供たちから抜け落ちた歯を回収する。それは地下のネズミたちの歯の治療のために用いられ、ネズミたちの生命源へとつながっているのだ。寄宿舎のような場所で暮らすセレスティーヌも同様に、地上に行くのであるが、思うように歯を回収することができない。
そんな折、出会ったクマのアーネストに頼み込み、義歯を売っている店に深夜入り込み、義歯を全て回収するのである。しかし、ネズミの世界にアーネストを連れてきてしまったことから騒ぎが大きくなり、二人は地上と地下、それぞれで追われる身となってしまうのである。
つまり表面上描かれているのは、年齢不詳ではあるが、おそらくかなり年の離れた異種の生物同士のボーイ・ミーツ・ガールと、彼らの逃亡劇である。追いかけてくる警官こそ複数ではあるが、どこかリュック・ベッソンの『レオン』を想起させるようなラブストーリーでもあるのだ。むしろ、アクション要素は少ないにしろ、アラン・ガニョルとジャン=ルー・フェリシオリによる『パリ猫ディノの夜』と同様に、描かれる犯罪を不快なものにさせず、あくまでもファンタジーの中の一要素として落とし込むことに成功させているともいえよう。
冒頭、ベッドに就くネズミたちのシークエンス。老先生が壁に恐ろしい影を落とすところで、ディズニーのアニメ映画へのオマージュを感じると、突然始まる枕投げのショットで、高畑勲へのオマージュも感じる事ができる。これはあらゆる伝説的アニメーション作家へのオマージュに溢れている映画であるということが、タイトルが出る前から予感させるのである。
さらにはセレスティーヌが最初に忍び込むクマの家族たちが、セレスティーヌを捕らえようとして室内を暴れまわるシーンには、ハンナ=バーベラの「トムとジェリー」を彷彿とさせ、どこの世界においても、ネズミが現れたときのダイナミックな動きは、映画に相応しいモーションになるということを実証している。
また、序盤から降り続く雪、春の訪れとともに到来する黒い雲と突然の豪雨。水の中のシーンや、炎が立ち込めるなど、絵として表現されるべき、あらゆる要素を80分の中に凝縮させているのである。
中でも、音楽に乗せて線が描かれて絵が形成されていく後半のシーンは、『ファンタジア』にも似た、アニメーション表現の極致である。
ベッドに沈んでいくアーネストや、ネズミの大群など、アニメーションとしての定番の表現をも併せ持ちながら、いかにも映画らしい見せ方さえも忘れていない。引きのショットを丹念に描き出し、やや長めにフィクス画面の中で登場人物が動くところを的確に捕らえたかと思うと、終盤の法廷シーンではクロスカッティングを多用し、急速に映画のスピード感を増す。
「表現する」ということから一切逃げずに、遊び心をも持ち続けていたからこそにできる、フレンチアニメの真髄を、体感することができる。
ようやくの、ロードショーというわけだ。
昨年のアカデミー賞で『風立ちぬ』『アナと雪の女王』らハイレベルなノミニーの中に選出された、このフレンチアニメは、制作から3年の月日が流れて、ようやくロードショー公開されるのである。
しかしながら、上映形態は日本語吹替版のみで、朝1回のみの上映となれば、かなりターゲットが限定される。元々、児童向けの絵本を原作にしている作品であるからこそ、子供をターゲットにしておきたいのであろう。
ただ、2011年に公開されたウェス・アンダーソンの『ファンタスティックMr.FOX』を始め、児童向けの原作を持っていても、ディズニーの大作や、ジブリやNHK関連でないとアートアニメとして扱われるきらいがあるのが、日本市場における海外アニメの取り扱いである。(もっとも、ディズニーとジブリの共同配給だった『イリュージョニスト』は完全にアートアニメの扱いで問題がなかったが)
その中で、特にアート色の強いフレンチアニメを、こうして上映させるということは、ある意味では画期的な試みと思える。それでも、純粋にフレンチアニメファンとしては、フランス語版の上映を期待してしまうのであるが。難点といえば、東京での上映が、ターゲット層の顧客のほとんど誰もが行ったことのないであろう、渋谷のイメージフォーラムだということぐらいであろうか。
さて、この『くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ』。これまで実に多くの映画祭で上映機会を得てきているから、フレンチアニメファンはすでにチェック済みであるだろう。2012年秋に行われた、第25回東京国際映画祭のみなと上映会を皮切りに、フランス映画祭、横浜フランスアニメ映画祭、さらにアンスティチュ・フランセでの上映も数回行われ、昨年の東京アニメアワードフェスティバルでも上映された。それから1年以上も音沙汰なく、今回の突然のロードショー公開ともなれば、たとえ夏休みの子供だらけの映画館といえども、是非とも劇場に足を運びたくなるものである。
ベルギーの絵本作家、ガブリエル・バンサンの代表作であるシリーズを脚色した本作は、地上のクマの世界と地下のネズミの世界を舞台に、それぞれの場所で孤独に生きる主人公の邂逅と交流を描く典型的なハートウォーミングムービーである一方で、かなり挑戦的な映画でもある。
地下世界で暮らすネズミたちは、夜な夜な地上に上がり、町に住むクマの子供たちから抜け落ちた歯を回収する。それは地下のネズミたちの歯の治療のために用いられ、ネズミたちの生命源へとつながっているのだ。寄宿舎のような場所で暮らすセレスティーヌも同様に、地上に行くのであるが、思うように歯を回収することができない。
そんな折、出会ったクマのアーネストに頼み込み、義歯を売っている店に深夜入り込み、義歯を全て回収するのである。しかし、ネズミの世界にアーネストを連れてきてしまったことから騒ぎが大きくなり、二人は地上と地下、それぞれで追われる身となってしまうのである。
つまり表面上描かれているのは、年齢不詳ではあるが、おそらくかなり年の離れた異種の生物同士のボーイ・ミーツ・ガールと、彼らの逃亡劇である。追いかけてくる警官こそ複数ではあるが、どこかリュック・ベッソンの『レオン』を想起させるようなラブストーリーでもあるのだ。むしろ、アクション要素は少ないにしろ、アラン・ガニョルとジャン=ルー・フェリシオリによる『パリ猫ディノの夜』と同様に、描かれる犯罪を不快なものにさせず、あくまでもファンタジーの中の一要素として落とし込むことに成功させているともいえよう。
冒頭、ベッドに就くネズミたちのシークエンス。老先生が壁に恐ろしい影を落とすところで、ディズニーのアニメ映画へのオマージュを感じると、突然始まる枕投げのショットで、高畑勲へのオマージュも感じる事ができる。これはあらゆる伝説的アニメーション作家へのオマージュに溢れている映画であるということが、タイトルが出る前から予感させるのである。
さらにはセレスティーヌが最初に忍び込むクマの家族たちが、セレスティーヌを捕らえようとして室内を暴れまわるシーンには、ハンナ=バーベラの「トムとジェリー」を彷彿とさせ、どこの世界においても、ネズミが現れたときのダイナミックな動きは、映画に相応しいモーションになるということを実証している。
また、序盤から降り続く雪、春の訪れとともに到来する黒い雲と突然の豪雨。水の中のシーンや、炎が立ち込めるなど、絵として表現されるべき、あらゆる要素を80分の中に凝縮させているのである。
中でも、音楽に乗せて線が描かれて絵が形成されていく後半のシーンは、『ファンタジア』にも似た、アニメーション表現の極致である。
ベッドに沈んでいくアーネストや、ネズミの大群など、アニメーションとしての定番の表現をも併せ持ちながら、いかにも映画らしい見せ方さえも忘れていない。引きのショットを丹念に描き出し、やや長めにフィクス画面の中で登場人物が動くところを的確に捕らえたかと思うと、終盤の法廷シーンではクロスカッティングを多用し、急速に映画のスピード感を増す。
「表現する」ということから一切逃げずに、遊び心をも持ち続けていたからこそにできる、フレンチアニメの真髄を、体感することができる。
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